宇和島市議会 2022-12-09 12月09日-04号
2,4,5-T系除草剤につきましては、当市では、津島町御代ノ川八面山国有林内に昭和46年に埋設されており、量は252リットル、形状は缶に入った乳剤であると国から報告を受けております。 以上でございます。 〔「議長」と呼ぶ者あり〕 ○議長(石崎大樹君) 山本定彦君。 ◆4番議員(山本定彦君) すみません、先ほど場所についてちょっと聞き漏らしたんです。もう一回確認させてもらえますか。
2,4,5-T系除草剤につきましては、当市では、津島町御代ノ川八面山国有林内に昭和46年に埋設されており、量は252リットル、形状は缶に入った乳剤であると国から報告を受けております。 以上でございます。 〔「議長」と呼ぶ者あり〕 ○議長(石崎大樹君) 山本定彦君。 ◆4番議員(山本定彦君) すみません、先ほど場所についてちょっと聞き漏らしたんです。もう一回確認させてもらえますか。
◎教育長(金瀬聡君) 当市の学校プールの施設につきましては、小・中学校34校のうち、16校が昭和50年代以前に建築されたものであります。多くが老朽化しておりますことから、必要に応じてプール本体の塗装修繕や循環系統の配管等の修繕を実施している状況でございます。
本会計は,地域改善対策事業として,川之江市,伊予三島市は昭和47年から平成6年,土居町は昭和48年から昭和59年において住宅新築,宅地取得及び住宅改修に対し,480人に637件の貸付元金総額19億2,867万6,000円を実施したものです。
伊達文化保存会とは、宇和島藩伊達家が残されました宇和島の歴史・文化の普及・伝承を活動の目的とし、貴重な文化遺産を維持管理し、伝統文化の向上・発展に寄与されていくために、昭和45年5月に財団法人宇和島伊達文化保存会として設立をされた団体でございます。平成24年4月、新たに公益財団法人宇和島伊達文化保存会となり、市立伊達博物館と連携しての収蔵品の展示や国の名勝天赦園の運営等を行っておられます。
皆さん御案内のとおり,アーケードは,商店街が元気のよかった昭和の高度経済成長期の時代に,日本全国津々浦々で各地の商店街で造られてきました。夏の強い日差しを防ぎ,雨でもぬれることがなく買物ができるという全天候型のショッピング街は,当時としては斬新であり,近代的とかおしゃれの象徴であり,各地の商店街が競って導入してきたという歴史があります。
昭和61年から平成3年2月までのバブル景気の頃なら誰も批判も反対もしなかったことでしょう。私自身、市長と同じ年ですから、私たち、高校1年生から21歳までの51か月間は右肩上がりで好景気、不安なんて何もありませんでした。でも、今の宇和島市は、景気の低迷とコロナ禍、少子化、超高齢化社会への突入、過疎化、人口減少の加速化、物価の高騰、消滅可能性都市とも言われております。
その2年後,昭和60年に女性労働者が性別により差別されることなく,かつ母性を尊重されつつ充実した職業生活を営むことができるようにすることを基本理念とした男女雇用機会均等法が成立しました。 そのおかげで結婚しても仕事をやめずに続ける女性が今は増えております。 しかし,もともと女性が多い職種の雇用条件はあまりよくなっていないように思います。
国で土砂災害の防止と被害の軽減を目的に、昭和58年より6月を土砂災害防止月間と定めまして、6月の最初の日曜日に全国一斉に土砂災害に対する防災訓練を実施しているところでございます。 宇和島市におきましては、平成30年度までは要配慮者利用施設に限って限定して訓練を実施しておりましたが、令和元年度からは全市を対象として実施をいたしているところでございます。
この人は昭和42年から多分7期務めたんだろうと思われますが、その人が言われた、私は人づてに聞いたんですが、「若いときは革新やないといけん、そして、年取ってきたら保守になる」、私も今でも革新の気持ちは捨てんずくにかんばっております。 吉田町にも、やり手の町長がおられた。浅野という名前やったと私は覚えておりますが。私の委員会にもよく質疑をしていただきまして、私も尊敬する議員なんです。
三島公園の遊具につきましては,公園が開設した昭和40年代に設置されたコンクリート製の造形遊具が多く,老朽化に加え,現在の安全基準に適合しなくなったものもございます。 そこで,安心して利用できる遊具を設置するため,国の補助事業である公園施設長寿命化対策事業に係る補正予算案を,今議会に上程しているところでございます。
昭和47年の開業以来、約50年の長きにわたり町を代表する観光施設として営業しておりましたが、それがなくなることは、町としても非常に残念であります。 サンパールの破産による町内経済への影響といたしましては、サンパールが町内業者から仕入れております原材料・商品仕入れ等は、過去5年間で仕入れ総額の約2割から3割となっております。
現伊達博物館は、宇和島市が昭和47年に市制50周年を迎えたことを記念し、昭和49年5月に開館したもので、地域の歴史と文化を学び、現在を生きる指針とするとともに、先人から引き継いだ文化遺産を後世に継承し、未来に向かって地域文化を創造する拠点として位置づけているところでございます。
現在の土居地域には,町村制の下で土居村が誕生した明治23年に設置された管理会制の土居財産区と,市町村制の下で土居町が誕生した昭和29年に設置された議会制の土居財産区の2つが同じ名称で存在しております。
この須賀川ダムは、昭和42年発生した大干ばつを契機に、柿原地先に建設されることになりました。特に昭和39年冬期、昭和42年夏期干ばつ時には、3時間から4時間の給水が1か月から1か月半続く惨状でした。これは私も子供の頃から覚えていますから、もう本当、水汲みばかり行かされたような、もういつも断水、断水、毎年、毎年断水があったんじゃないかなと子供心に記憶しております。
昭和41年に策定した給与の4%を上乗せする代わりに残業代を支払わないという法律によって上限が決められています。苛酷な労働時間に加えて,多様性を持つ子供や保護者への対応においても,より丁寧な指導が必要となっています。 そこで,教員の中途退職者の現状と労働環境がどうなっているのか,お尋ねしたいと思います。よろしくお願いします。 ○井川剛議長 東 誠教育長。 ◎東誠教育長 お答えいたします。
この宣言には、旧宇和島市において、長きにわたる人類の戦争の歴史に終止符を打ち、世界は一つとの理念を実現することを祈願し、市制施行50周年に際し、昭和46年11月6日に宣言され、その後、新宇和島市となり、改めて宣言が行われたものであります。 前文には、世界の恒久平和の実現は人類共通の願いである。
しかし,1945年,昭和20年7月頃には,いつ米軍が本土に上陸するか分からないという重苦しい空気が人々の心を締めつけていた。今から76年前の敗戦前の日本の状況を書かれたものでございます。 一たび戦争が起これば,一番苦しむのは民衆です。勝者などおりません。愚かな指導者たちが立ち向かうのは,最後は賢明な民衆しかないと信じております。
さて、12月21日は、昭和南海地震が発生した日であります。愛媛県防災対策基本条例では、この日をえひめ防災の日と定めるとともに、本日17日から23日までの間をえひめ防災週間と定めております。
そして,本市の方針というのは,最初決定したときに,過去の昭和30年代の学力テストによるいろんな紛争,問題等ありまして,学力テストが中止になった経緯がございました。そういうことから,また今回の学力調査についての文部科学省の方針とか調査の目的というのを踏まえて,当時の教育委員さんが何度も協議をして決定した方針でありました。
○町長(清水雅文) 次に、第4の質問、南宇和自動車教習所の存続についてですが、南宇和自動車教習所は、昭和48年4月の設立後、これまで多くの町民の皆様が自動車免許を取得し、町民生活の向上に大きく寄与されてきました。しかしながら、少子高齢化の進行により高校生などの免許取得者が減少し、経営に大変苦慮している状況にあると承知をしているところです。